【ハイキネ】ボクテキ アーカイブス -HyperKinesis-Thiking-

メンタリストDaiGoさん、パレオな男の鈴木祐さん、ハイパーメディアクリエイターの高城剛さんを情報源としたメタ情報ブログ

人生に迷った時は目的を思い出すと良いのかも知れない

あなたは人生に迷ったことはあるだろうか?

 

ボクはよく迷う。

 

迷った挙句に、ようやく試行錯誤の段階に戻ってくることができたとしても、またしばらくすると、「あれ・・・どうしてだろう?」と迷いの森に入ってしまう。

 

人生に迷いはつきものだけれど、喜んで迷うことなんてない。迷わず邁進していけたら、どれだけ心地よいだろうかとさえ思う。

 

人生を30年ほど歩んできて、道に迷う時のパターンがだいたい掴めてきたのは、ここ最近になってからで、それでもいつもうまく行くとは限らない。

 

わかったのは、大抵の場合「目的」が違っている場合が多いということだ。

 

どんな行動にも大なり小なり目的が備わっているもので、日常の些細な行動にも目的があり、大きな偉業を為す時にも目的がある。

 

そして人生に迷う時、この目的がおかしくなっていることが多いのだ。

 

目的が弱い場合がある。目的が弱いという表現はおかしいかも知れないので、目的意識が弱いと言い換えておく。

 

目的の強さとも言えるし、継続力とも言える。

 

要は目的が途中で消えてしまうか、「なんのためにやっていたのか」と尻すぼみになってしまう場合だ。

 

目的は時と環境によっても変化する。不変の目的というものもなくはないけれど、数は限られる。

 

当初は必要だと強く感じていたものが、状況が変わったことで対象が変わったり、そもそもその必要性がなくなることもある。

 

逆に、実は必要性は変わっていないのに、やる気がわかないことへの言い訳として使ってしまうこともある。人は言い訳が得意な生き物だ。

 

目的が誰かによってもたらされたものである場合、ある時はっと目が覚めることがある。

 

いわゆる外発的動機付けと呼ばれるもので、内発的なものと比べるとその効果や持続力は弱いとされている。

 

勝手に自分で動機付けされることもある。気がつかないうちに期待して、気がついたら失望している場合だ。

 

こうしてみると、目的が正しく機能しなくなるパターンは様々だ。

 

 

目的とは人生に置ける方位磁石のようなもので、どちらに進むべきなのか道を指し示している。

 

北をゴールだとするなら、そちらに向かうしかないが、方位磁石が出鱈目にくるくる回り始めると、当然北を目指すことはできない。

 

人生に迷うとはまさにこういう状態だ。

 

闇雲に向かうという手もあるが、その場合どこまで行ったらゴールだと言えるのだろうか?

 

そしてそのゴールとは一体誰が決めるのだろうか?

 

当然、自分だ。

 

目的を失わずに人生を歩んでいくことは、実は結構難しい。多くの人が日々目的を失い、道に迷っている。ボクもそんな中の一人だと自覚している(時々忘れている)。

 

そうすると、どうすれば方位磁石はまっすぐ方角を差し続けてくれるのだろうか。

 

残念ながら絶対的な答えはない。

 

ただし、ヒントがあるとするならば、「なぜそうしたのか」を記録しておくことだ。

 

記録といのはすばらしい行為で、偉業を成し遂げた傑物たちは、なにかと記録をする習慣を持っていたと言われる。

 

記録をすることで自分の考えが整理され、忘れそうになったら読み返し、時間の経過でその変化を追うことができる。

 

特に人間は忘れっぽい生き物で、「目的を忘れる」ということが意外と多い。

 

忘れたことすら忘れているので、ただなんとくなく人生に迷っていることがある。これは人生に限らず、勉学や仕事でもそうだ。

 

どう記録するかはその人のやり方次第であり、これは性格や好みの問題でもある。

 

日記という形式でもいいし、Excelで記録を取るのもいい。Googleカレンダーでもいいし、実物のカレンダーでもいい。

 

兎にも角にも、目的を何かに記録し、それを折に触れて確認してみることが大切だ、とボクは思っている。

 

目的を見失わないようにしっかりとそれを見つめ、変化に機敏に反応し、柔軟に変えていけたなら、きっと人生に迷う回数は少なくなるだろう。

 

目的というものを軸に、自分という存在の方向性を調整する、と考えると、案外方位磁石なのは自分のかも知れない。